BVE公開中止データのアーカイブサイト

気になるサイトを見つけた。

Lost Japanese BVE Routes Wiki

すなわち、閉鎖やサーバー障害などによって公開場所がなくなり、また作者との連絡がとれないBVE路線データを拾い集め再公開を行う場所を提供するWikiらしい。
かの有名なInternet Archiveを使ってもなかなか閉鎖サイトのデータを集めるのは難しく、古いデータ探しに困ったBVEプレーヤーを救済することが主な目的らしい。
Cool Online や isweb といった老舗ホームページスペースの閉鎖が相次ぐ中で、確かに公開場所を失ったBVEデータが数多く噴出する結果となったことは否めない。

ページを覗いてみると、私が知っているものも含め、既に5,6の路線データのアーカイブが公開されているようだ。

作者の許諾なしにデータを再公開することになるため、一応次のように記されてはいる。

if the author of the route suddenly comes up and says that the route cannot be re-released, it will definitely disappear from this website as it is not abandonware now.(出典:上記サイト)

私の拙い英語力でこれを解釈するなら、つまり「作者が見つかり、当人が再公開を望まない場合、当該路線データは直ちに削除される」とのこと。

公開停止したBVEデータは数知れず、将来的にあらゆる旧データがこうやって晒されることになってしまうのか・・・?


なぜ私がこれを知ったかというと、私の手元に、このWikiの作者からメールが届いてしまったからだ。
私が「みんなで投稿!BVE」を閉鎖した後、再公開されないままになっているいくつかのデータについて、その提供、でなければ作者の連絡先を教えてくれ、とのこと。

もちろん、私が行っていたのは「依頼を受けたBVEデータの代理公開」に過ぎないのであって、作者が著作権を有するデータに関して、私がそれ以上のことを行う権限はない。
連絡先としてメールアドレスを教えてもらえないかとのことだが、それも個人情報、安易に教えることはできない。
結論、その依頼メールに対して、私はあらゆる対応をお断りするしかない。



話はそれるが、先述したInternet Archiveは世界中のサイトのデータを集めて、過去に掲載されていた情報を提供する活動を行っている。
確かにそのサイトの内容の変遷を確認するためには有用なツールであると私も思っているが、一方で「Web上の掲載内容を変更・削除する理由の多くは、それを公開するのに差し障りがあり、パブリックな環境下にその情報を置いておくことに難がある」場合が大半なのではないかとも思う。
一度クロールを受ければ、その古い情報は半永久的に留まり続ける。
当然、著作権はサイトの作者が有するわけで、要請があれば削除する体制にはなっているとのことだが、その作業は必ず後手に回らざるを得ないことを注意せねばならない。

大学入りたて、法学超初心者である私がとやかく言える問題ではないが、インターネット社会の中で知的財産権の保護するために法律をどうこうするのにはあまりにもスピードが遅すぎることは明らか。つまり、もう無法地帯になってもおかしくないと。
そんな中で、都合の良し悪しに関わらず、こういった行為が横行するのはいかがなものかと思う。

イリーガルなことはいくらでもできてしまうし、それに対する取り締まり・処罰も到底追いつけないこの状況。
ひとりの脳内ではどうしようもないもどかしさを感じ続けてる日々。



まだアクセス数は少ないようだし、周知の目的も兼ねて書いた次第。
忙しくてBVEにはほとんど首をつっこめなくなったが、ひとつの動きとして知っておいていただければ幸いである。

三鉄にのって

おはようございます。
ブログを夜のうちに書こうとしても寝落ちしちゃうのね私w
 
…というわけで、三陸鉄道に乗ってきました。
 
@宮古駅
 
西武鉄道から贈られた、沿線民の書いたメッセージカード。
スマイルトレインは、笑顔を三鉄へ運ぶ。
 
 
今日のダイヤ改正で増発が行われるのを前に、昨日の始発から宮古~小本間が手旗信号から信号機を使う方式に戻りました。
そのため昨日は、システムのチェックと乗務員の習熟のための試運転列車が多数設定されました。
 
久々に信号機を使用するので、トラブルが続出。
私が乗った列車は宮古場内の誘導信号機が点灯せず、手旗を使って停車させることになりました。
一方小本でもトラブルが起きたそうで抑止がかかったりもしました。
全力で復旧に取り組むなかでのトラブルですから、許せるわなw
 
 
 
…こう、鉄道は復活に向けて取り組みがすすむ一方で、まだまだ復興の道筋すら立ちそうにない地域が。
 
宮古市田老地区。
 
市内でも特に津波被害の大きかった場所で、沿岸の住宅がほとんど流され、まっ更な状態のまま。
 
田老駅前。
家は基礎だけ残り、観光センターと思われる建物もめちゃめちゃに壊れたまま。
小本から宮古までの車窓の中で、この周辺は特に凄惨を極めるところで、ツアー客が見つめる視線が辛かった。
 
瓦礫処理場。
 
全国でその受け入れの是非が放射能でどうのこうのと揉めている間に、瓦礫は積もっていく一方。
これが処分されない限り、この地の本格的な復興はないように思う。
別に警戒区域でも何でもない、普通に人が住めるエリアなのに、ちょっとの被ばくがなんだっての。自然放射線だってあるのに。
理不尽なことを言って政府や自治体を困らせる奴は、いつ元の生活に戻れるとも知らぬこの現実を見てほしい。
「震災の苦しみを国民皆で分かち合おう」とか言いながら、「瓦礫は来るな!」とはいくらなんでも都合が良すぎる。
 
 
海岸近くにあった観光ホテル。
1階部分には、ドアがぐにゃりと曲がったままのエレベーターのかごが。
 
 
仮設店舗で営業するローソン。
けいおんグッズも置いてあって、唯かわいいなぁと…は、素直に思えなかった。
 
 
田老のプレハブ仮設店舗で物産館を営む方からお話をうかがうことができた。
 
・同じ津波を被ったのに、仮設住宅に住んでいるか、またその規模で、また仮設に入らず親戚宅などに仮住まいをしているかで、様々な待遇が差別されている。
 
・企業に対する県の支援もハードルが高く、当初は数千社の応募に対し3社しか合格しなかったこともあった。
 
・店の営業再開も簡単にはできず、具体的な復興計画も立たないため、いつでも立ち退きに応じられるようプレハブ店舗での営業を強いられている。
 
・住宅の高台移転は確かに望ましいが、そのための十分な場所がない。
 
 
…など。
 
どうして役所は、地元民の視線に立てないんだろう。自分たちは今まで通りの生活を送って、被災地の現実に直に目を向けているとはとても思えない。
 
第一、「1000年に一度の大震災」という表現自体が甘えだ。
マグニチュードを正確に算出するようになってからの数十年は、悠久な地球史や人間史に比べれば本当に微々たるスパン。
もしかしたら、今回と同じ、あるいはそれをも超えるような地震が明日にでも起こるかも知れない。
そういう風に物事を考えていかないと、また大津波が襲って悲惨な歴史を繰り返す。
いい加減、そういうことに気付いた行動をとっていけないものかと切に思う。
 
 
 
三陸鉄道。
運転士さんも駅員さんも、本当に気さくに、笑顔で話をしてくださった。
三鉄を愛する心や、全線復旧に向けた強い意志が、その言葉一つ一つから伝わってくるようだった。
 
 
 
もうすぐホテルを出て、この宮古の地を離れます。
いつか三陸が希望に満ちた明るい街に戻ることを願って。
またいつか訪ねたい。
プロフィール

てつた

Author:てつた
KR鉄道館

元駅員さん。
社会人2年目の、法学部卒
へっぽこ新米プログラマー。
たまには旅に出たい。

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